アジア オーケストラ ウィーク 2023

文化庁芸術祭は1946年より毎年開催されている芸術の祭典です。
アジアオーケストラウィークは2002 年に始まり、16の国と地域から60を超えるオーケストラが参加しています。
豊かな文化伝統に育まれたオーケストラによる演奏をお楽しみください。

Performance公演日時・曲目

Program Notes曲目解説

ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」

千葉交響楽団 指揮:山下一史
2023年10月5日(木)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

本日のコンサートでは、紀元前の昔に栄えたいにしえの交易路〈シルクロード(絹の道)〉の長い長い道のりに沿って、音楽と一緒に旅をしてゆきます。―中国から西へ、絹が運ばれていたことから命名されたこの古代の東西交易路には、いくつかのルートがありました。ローマなど地中海地方から、天山山脈の北に広がる草原地帯を通る道…はたまた南ロシアからオアシスの諸都市を経て敦煌へ…など。それらの道はいずれも東へ、洛陽や長安など中国の都市へと繋がっていました。
そして、シルクロードの交易で遙か西方からもたらされた文物は、日本にまで届いていました。絹の道を通した交流は、アジア全域に大きな影響を残し続けてゆくのです。
まずお聴きいただくのは、ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディン(1833~87)が作曲した「中央アジアの草原にて」(1880年)。この曲は、ロシア帝国の皇帝・アレクサンドル2世の在位25周年を祝う催しのために書かれました。
―冒頭、ヴァイオリンの高い弱音(フラジオレット、という透明な響きのする特殊奏法です)が、広い草原地帯の遙かな視界を思わせるなか、ロシア民謡風の素朴なメロディがあらわれます。やがて、単調なリズムがあらわす馬とラクダの足音に乗せ、東洋風の薫りをおびた旋律も。これは、砂漠を渡って来たキャラバン(隊商)の主題です。堂々と響くロシアの歌…やがてそれは美しいキャラバンの歌と融けあって、遙か彼方へ消えてゆくのです。

團伊玖磨:管弦楽組曲「シルクロード」

千葉交響楽団 指揮:山下一史
2023年10月5日(木)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

ボロディンは〈ロシア五人組〉(ボロディン、キュイ、バラキレフ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ)と呼ばれる同時代の作曲家たちと共に、ロシア国民楽派の軸となる個性を発揮してゆきますが、実際の中央アジアを見ることはありませんでした。
いっぽうで、現代日本の作曲家・團伊玖磨(1924~2001)は、中国大陸やアジアへの視線をつねに広く深く持ち、実際に幾度となく旅を重ねた人でした。青年時代から、同時代の芥川也寸志、黛敏郎と〈三人の会〉を結成して活躍をはじめた團は、戦後作曲界に鮮やかな風を吹き込みます。世界で上演された「夕鶴」など数々の傑作オペラ、交響曲第6番「HIROSHIMA」に至る力作交響曲、「筑後川」など愛唱される合唱曲、そして「ぞうさん」など童謡の数々…。『パイプのけむり』など名エッセイストとしても活躍しました。
そして、中国との文化交流に力を尽くした團伊玖磨は、中国だけでなくシルクロード各地を広く何度も旅行しており、遙かなルーツに思いを深めて音楽にも結晶させました。交響組曲〈アラビア紀行〉、交響幻想曲〈万里長城〉など、多くのオーケストラ曲が生まれたなか、本日お聴きいただく管弦楽組曲「シルクロード」(1954年)は、若き日の力作として繰り返し演奏されています。
全4楽章は、特定の情景を描写するというより、さまざまな幻想を明快に昇華させたもの…といえば近いでしょうか。はじめの第1楽章〔前奏曲 綺想〕から明るくリズミカルな雰囲気にも東洋的な着想が行きかいます。第2楽章〔牧歌〕は、日本ともどことも感じられる柔らかな大気が満ちてゆきます。やがて大きく昂揚し…幻想は起伏も豊かに広がり、歩み続けます。第3楽章〔踊り〕では、ちょっと奇抜な響きやリズムも組み込みながら、やはり東洋風のメロディが(ハープや弦楽器の彩りも添えて)彩りもさまざまに輝かせます。激しいクライマックスからそのまま、最後の第4楽章〔行進〕へ。力強い音楽には変拍子も巧みに混ぜられつつ、アジア音楽と西洋オーケストラ音楽の融合を晴れやかに楽しませてくれるのです。

ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

千葉交響楽団 指揮:山下一史
2023年10月5日(木)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

シルクロードの旅は、ロシアの南へ、そしてヨーロッパへ…。〈ロシア五人組〉のひとり、モデスト・ムソルグスキー(1839~81)の組曲「展覧会の絵」には、シルクロード西端とその先のあちこちを描いた、音の絵画が並んでいます。
もともと、ロシアの民衆の姿と力を音楽で描きたい…という野心を抱いていたムソルグスキーは、知人の建築家でデザイナー、ガルトマンの急死を悼む遺作展覧会を観て、ピアノ独奏のための組曲「展覧会の絵」(1874年)を書き上げました。聴き手は、飾られた絵をゆっくり眺め歩くように、組曲のそれぞれを聴き味わってゆくという仕掛けで、各曲のあいだに〈プロムナード〉という、そぞろ歩きの音楽が(同じテーマが、気持ちの移ろいを表すように変化しながら)挟まれている…というのも面白いところです。
この曲はむしろオーケストラの多彩さによく似合うのでは?と考えた人は多く、昔から幾つものオーケストラ版が誕生してきました。本日は、なかでも圧倒的な人気を誇る、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875~1937)による卓抜な編曲版(1922年)をお聴きいただきます。
絵の世界へ歩み入る〈プロムナード〉から、〈1.こびと〉は地底の宝を守る妖精。穏やかな〈プロムナード〉を挟み、〈2.古城〉は中世の吟遊詩人といったイメージでしょうか。〈プロムナード〉で色彩を変え、〈3.テュイルリー ―遊んだあとの子供のけんか〉はパリにある公園の光景。〈4.ビドロ(牛車)〉は牛にひかれた荷車の様子ですが、圧政に苦しむ民衆の隠喩とも。余韻をひきずる〈プロムナード〉からひょいと始まる〈5.卵の殻をつけたひなどりのバレエ〉は、大きな卵の殻から手足を出したバレエの衣裳デザイン画から。〈6.サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ〉は金持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人の対話だそうで、最後は金持ちの圧勝。当時のロシアにはユダヤ人が多く住んでおり、迫害を受けながらも独自の社会を築いていました。
〈7.リモージュの市場〉のリモージュはフランス中部の街。陶磁器で知られ、ロシアの貴族階級とは縁の深い街だとか。一転して重厚暗鬱な〈8.カタコンベ(古代ローマの墓)〉は、かつてのローマで非公認のキリスト教徒たちが築いた地下墓地の光景です。やがて曲は〈死者の言葉による死者との対話〉へ。プロムナードのテーマが闇のなか、亡き人との静かな対話の主題となっています。
一転、〈9.ババ・ヤガーの小屋(鶏の足の上に建っている小屋)〉は、鶏の足の上に建つババ・ヤガー(民話に出てくる魔女)の小屋、という置き時計のデザインから。切れ目なく壮大な終曲〈10.キエフの大門(ボガトゥィーリの門)〉へ。現在のウクライナの首都キーウ(旧名キエフ)に再建されるはずだった、中世の壮麗な大門の設計図からのイメージです。正教会の敬虔な祈りの音楽が、プロムナードの主題に流れ込んで壮大な終曲を築き上げてゆきます。輝かしきキーウ、その古くからの歴史と伝統を包み讃えるように、鳴りわたる鐘…。オーケストラが、大きく輝かしい音の門をひらいてゆきます。
注)筆者の原稿から固有名詞の表記を一部慣用のものに修正させて頂きました。

芥川也寸志:弦楽のための三楽章(トリプティーク)

イスタンブール国立交響楽団 指揮:ギュレル・アイカル
2023年10月6日(金)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

まずお聴きいただくのは、弦楽オーケストラが躍動と陰影を美しく繰り広げてゆく傑作です。作曲家・芥川也寸志(1925〜89)は東京生まれ。父の作家・芥川龍之介は音楽好きで、戦前から当時の最先端でもある作曲家・ストラヴィンスキーの音楽をSPレコードで愛聴していました。三男の也寸志も幼い頃から「火の鳥」や「ペトルーシュカ」といった彼の作品を聴いて育ち、早くに楽才を発揮。戦後まもなく、師・伊福部昭やプロコフィエフなどロシアの作曲家から影響も受けた、清新で鮮やかな作品を続々と発表して頭角をあらわします。作曲家・指揮者としての活躍、NHKの人気テレビ番組『音楽の広場』での名司会、オーケストラの育成等と日本音楽界に残した功績も大きく、その音楽も愛され続けている存在です。
弦楽のための三楽章(トリプティーク)(1953年)は、芥川也寸志若き日の傑作です。〈トリプティーク〉とは〈三連画〉といった意味。弦楽器ならではの重音や装飾音など、楽器を雄弁に生かし切った語法が魅力的です。不思議なことに後ほどお聴きいただくトルコの作曲家エルキンと、遠く通じるところが感じられるのも面白いところです。

ウルヴィ・ジェマル・エルキン:ヴァイオリン協奏曲

イスタンブール国立交響楽団 指揮:ギュレル・アイカル ヴァイオリン:チハト・アスキン
2023年10月6日(金)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

トルコには、豊かで奥ゆきの深い魅力と長い歴史を持つ、伝統的な独自の芸術音楽があります。そこへヨーロッパのクラシック音楽も流れこんできたのは、19世紀の半ば頃でした。
トルコには西洋クラシック音楽の基盤を築いた〈トルコ五人組〉と呼ばれる作曲家たちがいます。交響曲や協奏曲など録音も多く最も知られているサイグンをはじめ、イスタンブール国立交響楽団の前身であるイスタンブール市立管弦楽団に尽力するなど活躍したレイ、アンカラ国立歌劇場の総監督を務めるなどトルコにおけるオペラ上演にも功績を残したアルナル、ヒンデミットと共にアンカラ国立音楽院の創設に尽力したほか要職を歴任し〈トルコ五人組〉でも20世紀現代音楽の潮流に最も近しかったアクセス、―そして本日お聴きいただくエルキンの5人です。彼らはそれぞれ西欧各地へ留学して音楽を学び、トルコ帰国後もその優れた才能を作曲や指揮、教育などに発揮。トルコ民族音楽を西洋の音楽理論と結びつけ、新しい国民音楽の創生へ道を拓いてゆきました。
ウルヴィ・ジェマル・エルキン(1906〜72)は、アジアとヨーロッパの境に長い歴史を誇る文化都市イスタンブールの出身です。1925年から奨学金を受けてフランスに派遣され、ヨーロッパ文化の最先端が渦巻き華やぐパリで音楽を学びます。名伯楽N.ブーランジェに作曲を師事して才能を磨き、トルコ帰国後はアンカラ国立音楽院でピアノを教え(学長も務めるなど、没年まで後進の育成に努めます)、作曲家としても旺盛な活躍を繰り広げました。
エルキンは、オーケストラ作品からソロ曲まで広いジャンルに多くの作品を書きました。アナトリア地方をはじめトルコ各地の民族舞曲を色彩豊かなオーケストラに響かせた代表作・舞踊狂詩曲「キョチェクチェ」(1943年)や、トルコの名ピアニスト、ビレットも力感あふれる録音を残しているピアノ協奏曲(1942年)など大作を数々残しているなか、ヴァイオリン協奏曲(1947年)もエルキンの才能を発揮した秀作のひとつです。
トルコ伝統音楽は5拍子など(西洋でいう)変拍子も多彩に生かされるのが特徴のひとつですが、エルキンのヴァイオリン協奏曲も、第1楽章〔アレグロ・ジュスト〕の冒頭すぐに歌い出す独奏ヴァイオリンの主題から、5拍子を基盤として拍打の変化がめまぐるしいもの。詩情あふれるメロディと多彩なリズムの融合が、聴き手をぐいぐいと惹きこんでゆきます。そのサウンドは、西欧音楽の長調・短調とはやや異なる民族音楽的な旋法をベースにした色をもち、どこか親しく感じられるのではないでしょうか。独奏ヴァイオリンの技巧的なカデンツァを挟みつつ高揚する第1楽章に続いて、第2楽章〔アダージョ〕は、静かな歩みの上に独奏がしみじみと哀しい歌を広げてゆく緩徐楽章。やがてトリルや速い走句もソロの彩りをはばたかせ、また陰影ゆたかな深みへと身をしずめてゆきます。そして最後の第3楽章〔アレグロ・コン・フォーコ〕は、変拍子ではなく2拍子の猛進でスタート。独奏ヴァイオリンの刻むリズムに木管群の民族音楽的なテーマ…と色を増してゆくなか、突進するリズムにも徐々に3連符や6連符が織り交ぜられるなど、単調に陥らない語り口はさすが。やがて曲調が少し落ちつくと、独奏ヴァイオリンにはいよいよ、16分の5拍子や16分の3拍子など変拍子の多彩も羽を広げはじめ、オーケストラの総奏ともども16分の7拍子の(妖しく高揚し続ける!)クライマックスへ。
1949年4月、アンカラ歌劇場において作曲者エルキンの指揮するトルコ国立大統領交響楽団、リコ・アマルのヴァイオリン独奏で初演されました。最近ではバスウェル独奏、クチャル指揮のイスタンブール国立交響楽団による録音があり、先駆者エルキンの才能にあらためて光を当て直しました(本稿も国立音楽院出版による作品総譜のほか、Aydın Büke氏によるCD解説を参照しました)。

チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36

イスタンブール国立交響楽団 指揮:ギュレル・アイカル
2023年10月6日(金)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840~93)が、結婚のトラブルから逃れてスイス、フランス、イタリア…と国外で日々を過ごすなか、憑かれたように仕上げたという交響曲第4番ヘ短調(1877~78)。私生活と作品内容はまったく関係ありませんが、作曲家の精神状態は、作品に満ちた異様な迫力を彫り込みもしたでしょうか。
第1楽章の冒頭、運命を告げるファンファーレのような主題は、のちのち繰り返し登場して全曲を引き締める役割を果たします。序奏に続いて、哀しく美しい歌の厚み…対照の激しい起伏もまた、音楽の悲劇性を際立たせてゆきます。
第2楽章には〈歌の様式による〉と注記されています。作曲者が冒頭のオーボエ独奏に「哀愁、過ぎ去った日々への郷愁…人生に疲れ切って…」といった意味の説明を残しているのも頷けるように、さまざまな思いが歌心深く呼び交わされてゆきます。
第3楽章はスケルツォ。弦楽がピツィカート奏法(指で弦をはじいて音を出す)で奏し続けるテーマに、表情豊かな管楽器による(作曲家いわく「いささか酔ったような」)テーマ、はたまたリズムの特徴的な中間部…とやりとりも軽妙。
そして終楽章は、いきなり全オーケストラから壮麗壮大なエネルギーがはじけだします。続いて管楽器にあらわれる悲しげなメロディはロシア民謡「白樺は野に立てり」の変形。続けて付点リズムの特徴的な第2主題…と、幾つもの主題(と〈運命のテーマ〉!)が巧みに組みあげられ、オーケストラが聴き手の感情を呑み込むような圧巻のエンディングへ。

シューベルト:序曲 ハ短調 D.8

韓国チェンバー・オーケストラ 音楽監督・ヴァイオリン:キム・ミン
2023年10月7日(土)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

まずは、弦楽合奏のしっとりと深い…しかし澄んだ美しさを味わっていただける佳品からお聴きいただきましょう。
オーストリアの楽都ウィーンで活躍した作曲家フランツ・シューベルト(1797~1828)は、31歳という若さで亡くなるまで、膨大な歌曲から交響曲、オペラなどあふれ出すように傑作を書き続けたひと。その彼が少年時代に書いたのが、本日お聴きいただく序曲 ハ短調(1811年)。
この頃まだ寄宿学校の生徒だったシューベルトは、先人モーツァルトの作品に触れて感化されながら、家族など身内の弦楽愛好家で演奏するための室内楽をあれこれ書き始めています。この作品も、もとは弦楽五重奏のための曲。少年の作ながら、短調の暗い響きにも瑞々しい緊張感を魅せて、アンサンブルに映える音楽になっています。

ピアソラ(デシャトニコフ編曲):ブエノスアイレスの四季

韓国チェンバー・オーケストラ 音楽監督・ヴァイオリン:キム・ミン ヴァイオリン:ユン・ソヨン
2023年10月7日(土)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

ヴァイオリン独奏と弦楽アンサンブルのための作品といえば、古くはヴィヴァルディの「四季」があって広く愛されてきましたが、20世紀の新しい「四季」を…とばかりに生まれたのが、アルゼンチン出身の作曲家でバンドネオンの名匠、アストル・ピアソラ(1921~1992)の「ブエノスアイレスの四季」という作品です。
ピアソラはクラシック音楽の教育も受けていますが、祖国アルゼンチンに深く根付いた民衆の音楽・タンゴを何よりも自分のものとしていました。自ら率いたタンゴのバンドで発表していった自作は、タンゴの世界に革命をもたらしただけでなく、クラシック音楽の奏者たちにも広く影響を与えていきます。
劇の付随音楽として書かれた「ブエノスアイレスの夏」(1965年)がきっかけで、「秋」(69年)、「冬」「春」(70年)と書かれて全4曲が完成。もともとタンゴ五重奏のための作品でしたが、ピアソラ没後に彼の音楽を熱烈に愛し広めたヴァイオリン奏者のギドン・クレーメルが、ぜひクラシック演奏家も弾けるように…と、ウクライナ生まれの作曲家レオニード・デシャトニコフ(1955~)に編曲を依頼して、本日お聴きいただくヴァージョンが生まれ(1996~98)、世界中で愛奏されるようになりました。
この編曲では、艶っぽいヴァイオリン独奏とアンサンブルの巧みな呼吸のなか、あちこちにヴィヴァルディへのオマージュなども織り込まれながら、ヴァイオリンが打楽器のギロを模して弾いたりと、タンゴならではの奏法もあれこれ生かされています。

ユン・イサン:弦楽のためのタピ

韓国チェンバー・オーケストラ 音楽監督・ヴァイオリン:キム・ミン
2023年10月7日(土)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

韓国が生んだ国際的に活躍する作曲家たちの中でも、先がけにして最大の存在が巨匠ユン・イサン(尹伊桑/1917~95)です。韓国南東部、海に面したトンヨン(統営)で生まれたユンは、ソウルで音楽理論を学んだのち(当時、韓国は日本の支配下にあった関係もあって)大阪へ。商業学校に通いながらチェロを弾き、やがて東京で作曲の腕を磨くものの、戦争末期に対日抵抗運動に参加して投獄されるなど非常な辛酸をなめます。
日本の敗戦後、解放された韓国で作曲家として認められ、さらに研鑽を積むためにパリへ、そしてベルリンへ留学。現代音楽の旗手たちから刺激を受けつつ、「精神的にはわが東アジアの音楽の源泉に立って、朝鮮の音のイメージを西洋現代の作曲技法の助けをかりて音楽化」(尹伊桑、ルイーゼ・リンザー/伊藤成彦訳『傷ついた龍 一作曲家の人生と作品についての対話』[未来社、1981年]より)した、独創的な作曲で一躍注目を集めます。
ところが1967年、韓国軍事政権によってベルリンから拉致、韓国へ連れ戻されて拷問を受け、スパイ嫌疑で裁判にかけられるという事件が起こります。大勢の芸術家たちはもちろん西ドイツ政府をはじめ国際的な激しい抗議が行われた結果、2年後に釈放されてドイツへ帰還。以降はドイツを拠点にますます旺盛な創作活動を展開し、オペラやオーケストラ曲、室内楽曲など多数の優れた作品を生み出し続けました。
本日お聴きいただくのは、「弦楽のためのタピ」(1987年)。充実した創作を繰り広げていった晩年のユンによる、短くも力みなぎる傑作です。
弦楽五重奏か弦楽オーケストラ、いずれの編成でも演奏できる作品で、タイトルの〈タピ〉とは〈絨毯〉〈つづれ織り〉をさす古い言葉。8分強の全曲は、大まかに〈急・緩・急〉と三部に分かれたなかに、音の連なりを糸のように織り上げてゆくわけですが、短い動機から息長いメロディへ、あるいは鋭い高音とリズミカルな低音…といった対比も巧みに生かされて、聴き手を飽かすことがありません。
たとえば冒頭から耳につく(高い音へとあがってゆく)上向音程や、トリルなど音の装飾、グリッサンド(音と音の間を繋げて奏する)やフラジオレット(独特の澄んだ高音を出す特殊奏法)など、弦楽器の多彩な音色も存分に織り込まれ、緊張感の幅もとても広く、アンサンブルの妙技も堪能させてくれる音楽です。

ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ ホ長調 作品22

韓国チェンバー・オーケストラ 音楽監督・ヴァイオリン:キム・ミン
2023年10月7日(土)ライブ収録 会場:東京オペラシティコンサートホール

最後は、アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)の名作・弦楽セレナーデ ホ長調(1875年)を。
チェコ西部・ボヘミア地方で生まれた彼の作品には、泉のように溢れる美しいメロディと、その歌心を巧みに生かす色彩感も豊かな響きと、聴き手を自然に惹きこむ魅力が満ちています。若い頃は歌劇場のヴィオラ奏者をつとめながらこつこつと作曲に励み…作曲家として名を知られるまでは遅咲きだった人ですが、〈スラヴ舞曲集〉の成功をはじめ、30歳代後半からオペラや交響曲などがいよいよ注目を集め、やがてチェコを代表する大作曲家となりました。
弦楽セレナーデは、作曲家ドヴォルザークが世に認められようという33歳の作品。全5楽章、第1楽章〔モデラート〕から詩情豊かな音楽は、第2楽章〔ワルツのテンポで〕の巧みな色合い、第3楽章〔スケルツォ:ヴィヴァーチェ〕の素晴らしいリズム感、そして緩徐楽章にあたる第4楽章〔ラルゲット〕の甘やかな旋律美を経て、最後の第5楽章〔フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ〕の生き生きとして充実した音楽へ…と、青年らしい覇気にも天才的なメロディメーカーならではの名旋律が満ち、弦楽器とそのアンサンブルを熟知していた人ならではの充実感も見事な傑作です。

Profileプロフィール

  • 千葉交響楽団

    Chiba Symphony Orchestra

    1985年創立。千葉県の音楽文化の向上・発展を使命とし、定期演奏会をはじめ、県民芸術劇場や各地での演奏会など、地域に根ざした演奏活動には定評がある。次代を担う子どもたちに向けた演奏活動を創設時より活動の中心の一つに据え、千葉県各地の「小・中・高等学校音楽鑑賞教室」、幼稚園や特別支援学校への訪問演奏や小編成の室内楽など、貴重な芸術体験を提供し、音楽の素晴らしさを伝え続けている。
    2016年4月には音楽監督に山下一史氏を迎え、新たな挑戦に取り組んでいる。新鮮で熱気あふれる演奏は、「おらがまちのオーケストラ」と親しまれ、愛されており、今後の演奏活動に熱い期待が注がれている。

  • 山下一史/指揮

    Yamashita Kazufumi

    桐朋学園大学を卒業後、ベルリン芸術大学に留学、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。カラヤンが亡くなるまで彼のアシスタントを務める。現在、千葉交響楽団音楽監督、愛知室内オーケストラ音楽監督、大阪交響楽団常任指揮者。東京藝術大学音楽学部指揮科教授。

    ©ai ueda

  • イスタンブール国立交響楽団

    Istanbul State Symphony Orchestra

    1827年に設立された「オスマン帝国オーケストラ」にまで遡るルーツを誇る。1917年にはウィーン、ベルリン、ブタペストなどヨーロッパ演奏旅行を行った。現代に続く長い歴史、伝統と革新が行き交うイスタンブールにおいて特別な存在であり続けている。トルコ人作曲家作品の初演やレコーディングにも力を入れており、その演奏はラジオやテレビにて常時放送されている。国内外の演奏旅行も多く、2017年にはブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリを訪れ6公演を開催、好評を博した。日本にはAOW2003以来20年ぶりの再登場となる。

  • ギュレル・アイカル/指揮

    Gürer Aykal

    ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者。コンセルトヘボウ室内管弦楽団常任指揮者、エルパソ交響楽団総合音楽監督及び常任指揮者を歴任。後進の指導にも熱心に取り組んでおり、インディアナ大学やテキサス工科大学等、トルコではビルケント大学やミマール・スィナン芸術大学で教鞭をとる。

  • チハト・アスキン/ヴァイオリン

    Cihat Askin

    英国王立音楽大学を経てロンドン大学にて博士号修得。トルコを代表するヴァイオリニスト。世界中で演奏活動を行うほか、トルコ人作曲家エルキンやアクセスのレコーディングなど先駆的な活動にも評価が高い。世界的なレーベルとの提携は作曲活動にも及び、トルコの若き才能をサポートするプロジェクトを主宰するなど多方面で活躍している。

  • 韓国チェンバー・オーケストラ

    Korean Chamber Orchestra

    1965年創立、韓国を代表する室内管弦楽団。卓越した演奏には定評があり、国際連合公認「平和の室内管弦楽団」としてNYの本部やユネスコ会館(パリ)で演奏するなど内外より高い注目を集めている。ラインガウ音楽祭、ジョルジェ・エネスク国際音楽祭など世界各地の音楽祭にも多数出演。2015年には創立50周年を記念して世界ツアーを行い、ウィーン楽友協会、コンツェルトハウス(ベルリン)、カーネギー・ホール等の公演で世界的な評価を得た。CDのリリースも多い。2023年2月にはコロナ禍で中断していたモーツァルトの46交響曲全曲演奏プロジェクトを完遂、絶賛された。

  • キム・ミン/音楽監督・ヴァイオリン

    Min Kim

    ドイツで研鑽を積み、KBS交響楽団コンサートマスター、韓国国立交響楽団音楽監督などを歴任。韓国チェンバー・オーケストラの音楽監督として世界を舞台に1,000を超える公演を成功に導く。主要な国際コンクールの審査員やソウル国際音楽祭芸術監督等を務めるほか、大韓民国芸術院副院長など要職も多い。

  • ユン・ソヨン/ヴァイオリン

    Soyoung Yoon

    ユーディ・メニューイン国際コンクール、ヴィエニャフスキ国際コンクール優勝ほか受賞歴多数。著名なオーケストラからソリストとして招かれ、室内楽奏者としての評価も高い。韓国チェンバー・オーケストラとはピアソラ「ブエノスアイレスの四季」等のレコーディングや海外ツアーでも共演。