文化庁芸術祭は1946年より毎年開催されている芸術の祭典です。
アジアオーケストラウィークは2002 年に始まり、アジア太平洋地域から各国を代表するオーケストラを招き、
16の国と地域から60を超えるオーケストラが彩り豊かな熱いサウンドをお届けしております。
「アジア オーケストラ ウィーク」は単なる国際的なクラシック音楽イベントに留まらず、
オーケストラという、大きな可能性に満ちた世界共通の文化装置(財産)によって、
アジア太平洋地域に暮らす人々の相互理解や共感を促す未来志向の取り組みなのです。
※一部YouTube配信に含まれていないプログラムがございます。
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収録公演 2025年10月4日(土)15:00開演(14:15開場)
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収録公演 2025年10月13日(月・祝)15:00開演(14:15開場)
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2025年10月14日(火)19:00開演(18:15開場)
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シンポジウム&ミニ・コンサート 2025年10月12日(日)10:00〜12:00(9:30 開場)
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兵庫芸術文化センター管弦楽団 指揮:出口大地
2025年10月4日(土)ライブ収録
会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
遠い記憶の中から浮かび上がってくるような祭囃子の響き。その賑わいを懐かしく感じるのは、私たちが思い描く日本の原風景がそこにあるからかも知れません。大阪を代表する作曲家、大栗裕(1918-82)の『大阪俗謡による幻想曲』はそんな作品です。
大栗裕は大阪市南区(現在の中央区)島之内の小間物問屋に生まれました。天王寺商業高校の吹奏楽部でホルンを担当し、同時に独学で作曲の勉強も始めています。戦前から戦後にかけていくつかのオーケストラでホルン奏者を務めたあと、指揮者・朝比奈隆の要請で関西交響楽団(1960 年に大阪フィルハーモニー交響楽団に改組)に入団。1950年から66 年まで在籍しています。作曲家としての大栗の名を一躍高めたのが、1955 年、朝比奈の指揮で関西歌劇団によって初演されたオペラ『赤い陣羽織』でした。以後の大栗は現在で言うところのコンポーザー・イン・レジデンス(座付き作曲家)のような形で朝比奈と同楽団のために作品を発表していきます。日本の音階を織り込みつつ、大阪ならではの活気を湛えた作風は「東洋のバルトーク」とも評されています。
『大阪俗謡による幻想曲』は1956 年に作曲されました。朝比奈のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団への客演が決まったことから、ベルリンで演奏されることを想定して書かれた作品です。初演は同年5月28日、神戸新聞会館大劇場において開催された「神戸新聞会館落成記念関響グランド・コンサート」で朝比奈と関西交響楽団によって行われました。翌月、渡欧した朝比奈はまずウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団でこの作品を指揮。6月21日、22日にベルリン・フィルに登場します。ベートーヴェンの交響曲第4 番ほかとともに演奏された『大阪俗謡による幻想曲』は大好評を博し、この時の総譜はベルリン・フィルに献呈されました。
曲は日本古来の雅楽や神楽(かぐら)の雰囲気を持った荘重な序奏で開始されます。打楽器の使い方が実に効果的で、反復される弦の響きとともに思わず引き込まれる始まりです。主部に用いられたのが天神祭の地車囃子(だんじりばやし)と生國魂神社の夏祭りの獅子舞囃子(ししまいばやし)のリズム。それらは厳密に採譜されたものではなく、大栗の体に染み込んだリズムをもとに書かれていて、特にちゃんちきや神楽鈴といった鳴り物の音色が大阪の夏のうだるような熱気を伝えています。フルートとコーラングレで示される民謡風の主題、郷愁を帯びた弦のうねりなどが絡み合い、やがて打楽器が激しく打ち鳴らされて最高潮を迎えます。この作品は大栗自身によって1974 年に大阪市音楽団のために吹奏楽版へと編曲され、さらに知られることとなりました。
逢坂聖也(音楽ライター)
兵庫芸術文化センター管弦楽団 指揮:出口大地
2025年10月4日(土)ライブ収録
会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
19世紀の後半、ロシアの国民楽派の作曲家グループ「ロシア五人組」(※注)の1 人として、多くの作品を残したモデスト・ムソルグスキー(1839-81)。彼の代表的なピアノ曲にモーリス・ラヴェル(1875-1937)が編曲を施し、管弦楽作品として完成されたのが組曲『展覧会の絵』(ラヴェル編)です。管弦楽の魔術師と呼ばれたラヴェルの手腕は原曲のロシア的な響きから絢爛とした色彩感を引き出し、この作品を世界に広めました。
ムソルグスキーは貴族の家柄に生まれましたが、1861年の農奴解放令で領地を失い、下級官吏として生計を立てながら作曲を続けました。特に後半生は経済的な困窮やアルコール依存に苦しめられたため大半の作品が未完のまま残されましたが、その独創性に満ちた音楽は後世の高い評価を勝ち得ています。ピアノ組曲として作曲された『展覧会の絵』はオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』などと並び、彼の生前に完成された数少ない作品です。
組曲『展覧会の絵』は、ムソルグスキーが1874年に友人で、画家・建築家であったヴィクトル・ガルトマンの遺作展を観に行き、そこにあった絵画、スケッチなどの印象を10曲のピアノ曲にまとめた作品です。ムソルグスキー独特の奔放な想像力に満ちた音楽はそれだけでも新鮮ですが、画期的なのは冒頭と曲間に「プロムナード」(回廊)と題された小曲が置かれたこと。これは絵画を見て回るムソルグスキー自身の心情を表現したものと言われ、作品全体に統一感をもたらしています。10曲の内容は伝承に基づくもの、ユーモラスなもの、壮麗な雰囲気のものなどさまざまですが、ガルトマンの作品と音楽との直接的な関連(ムソルグスキーは実際にどんな絵を観たのかなど)については不明な点も多く残されています。むしろガルトマンの作品をモチーフにムソルグスキーが自由に描いた音楽による絵画が、組曲『展覧会の絵』であると言えるでしょう。ムソルグスキーはこの作品に自信を持っていましたが生前に演奏されることはなく、完成から7年後に世を去っています。
ムソルグスキーの死後、忘れられかけていたこの作品に光を当てたのが、ロシア出身の名指揮者セルゲイ・クーセヴィッキーでした。ロシア革命を避けてパリに移住したクーセヴィッキーは、1922年、自ら主宰する演奏会「コンセール・クーセヴィッキー」の新たなレパートリーとして、組曲『展覧会の絵』の編曲をラヴェルに依頼します。同年10月19日にパリ・オペラ座で行われた管弦楽版の初演は大成功。これにより作品とムソルグスキーの名も一躍、世界に知られることとなったのです。組曲『展覧会の絵』の管弦楽への編曲はこれが初めてではなく、また、これ以後にも行われています。しかし現在、世界のオーケストラのスタンダードとなっているのはこのラヴェル編曲版であり、その人気が高まるにつれてムソルグスキーのピアノ組曲版もまた、多くのピアニストに取り上げられるようになっています。 (※注)ロシア五人組:ミリイ・バラキレフ、ツェーザリ・キュイ、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフ、モデスト・ムソルグスキーの5 人。ドイツ、オーストリアの伝統を重視したロシアの音楽アカデミーとは距離を置き、母国の民族主義的な音楽の創造を目指した。
逢坂聖也(音楽ライター)
香港フィルハーモニー管弦楽団 指揮:リオ・クオクマン
2025年10月13日(月・祝)ライブ収録 会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
作曲者 チャールズ・クォンによる解説
「疾如風、徐如林」は、単純で直観的な発想から始まった。私は迅速さと緩慢さが同時進行する管弦楽小品を書きたかったのだ。この一見平易なコンセプトは、相互に呼応し合うふたつの発見から導かれた。 第一の発見は、まだ理解しきれてはいないながらも探究を続けている量子重力理論に由来する。ジョン・ホイーラーが提唱した、有名で興味深い説に出会ったのだ。彼は時空を古典物理学が想定する滑らかな連続体ではなく、ミクロの領域で「泡立つ」テクスチャーとして捉えており、ある講義ではそれを水に例えていた。遠くから見れば川は凍結し静止しているように見えるが、近づけば流れや動きが見え、さらに至近距離では湧き出る気泡が見えるのだ、と。自分がこの時間理論を正しく理解しているかどうかは定かではないが、時間を連続体ではなくテクスチャーとして捉えるという発想は私を強く惹きつけ、時間がミクロの領域では日常の認識とは異なる動きを示すのではないかと考えさせられた。
第二の発見は、昨夏スイスのフルカ峠で取り組んだプロジェクトから得られた。私はローヌ川源流の水音を水中マイクで多数録音したが、その編集作業の中で偶然気づいたことがある。これらの音を例えば8倍、さらには16倍といった極端な倍率で再生速度を落とすと、聞き慣れたせせらぎやきらめきが、ピッチの異なる音の粒の連なりに変化し、まるで現代音楽のマリンバのカデンツァか、不規則な無調のウォーキング・ベースのように聞こえてきたのだ。
これら二つの発見(いずれも時間にズームイン、ズームアウトするという行為を廻る)が本作の基盤を形成した。異なる尺度で進み、重なり合う複数の時間軸が、滑らかでありながら分離した時間のテクスチャーを織りなす様を想像したのだ。「疾如風、徐如林」は、そのようなテクスチャーの連鎖として展開する。各エピソードは次のエピソードへの橋渡しとしての間奏であると同時に、ひと続きの変奏でもある。これらの「変奏」は、旋律を変化させる古典的な意味での展開ではなく、同一の音楽の種子(完全五度)が多様に展開していくものだ。したがって本作は、無限の遷移の過程から切り取られたスナップショット、断片として聴くことができる。そしてそれ自体もまた、無数のよりミクロな尺度の遷移によって構成されている。
題名「フェスティナ・レンテ」は、ラテン語の格言「ゆっくり急げ」「急がば回れ」に由来する。中国語版の題名は孫子の「其の疾きこと風の如く、その徐かなること林の如し」から借用した。私は、この「迅速」と「緩慢」の逆説的な融合こそが本作を特徴づける本質であると考え、これを曲名とし、同時にある種の音楽的示唆としたのである。
香港フィルハーモニー管弦楽団 指揮:リオ・クオクマン ピアノ:反田恭平
2025年10月13日(月・祝)ライブ収録 会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
ロシアを代表する作曲家、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840‒93)。彼の作品に溢れる憂愁を湛えた旋律、独特の色彩感に満ちた和声は日本でも多くの人々の心を捉えています。《ピアノ協奏曲第1番》はそんな彼の魅力を凝縮したような名曲。まばゆいばかりの壮大な響きに乗せて、ピアニストの技巧性も存分に味わえる作品です。
チャイコフスキーはウラル地方の工業都市ヴォトキンスクに鉱山技師の次男として生まれました。ウクライナの名家を出自とする家系で、その名は“チャイカ”(かもめ)に由来します。5 歳からピアノの手ほどきを受け音楽の才能を現しますが、結局10 歳でサンクトペテルブルクの寄宿制の法律学校に入学。法律家の道を目指すことになります。卒業後、法務省の官吏として過ごしていた彼に転機が訪れたのが1861年。21 歳の時でした。知人の紹介でペテルブルク音楽院の創設を知り、その第1期生となったのです。ここで高名なピアニストであったアントン・ルビンシテインのクラスに編入された彼は官吏の職を辞し音楽の道を邁進。才能を開花させていきます。そして1866年にはアントンの弟で生涯の友人となる、ピアニストのニコライ・ルビンシテインが開設したモスクワ音楽院に教授として迎えられ、以後、数々の名曲を発表していくのです。
《ピアノ協奏曲第1番》は1874年から75年にかけて作曲されました。当初この作品はニコライ・ルビンシテインに献呈する目的で書かれていましたが、草稿の段階で作品を聴いたルビンシテインは何とこれを酷評。書き直しを要求したのです。チャイコフスキーは彼の言葉に従わず、最終的にドイツのピアニストで指揮者でもあったハンス・フォン・ビューローに献呈します。1875 年10月25日、アメリカのボストンで、ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によって行われた初演は大成功を収めました。ここに至ってようやくルビンシテインは自らの意見を撤回。同年11月21日には指揮を務めて(ピアノはセルゲイ・タネーエフ)モスクワ初演を成功に導き、その後は自らのレパートリーにも加えるなど、この曲の真価を広めることに貢献していくのでした。
〈第1楽章〉は雄大な序奏を持ったソナタ形式。印象的なホルンの強奏で始まります。ピアノとオーケストラが一体となったこの流麗な序奏は、チャイコフスキーの作品の中で最も有名なものかも知れません。主部はウクライナ民謡風の第1 主題、そしてチャイコフスキーが創意を尽くした第2主題A,Bが絡み合いながら万華鏡のように展開します。また長大なカデンツァが置かれていて、これ自体が1 つの作品と言えるほどの大きな楽章となっています。〈第2楽章〉は3部形式。フルートによる優雅なアンダンテで始まりますが、中間部では一転、ピアノ、オーケストラの技巧的なパッセージが続きます。〈第3 楽章〉はロンド形式。ピアノに現れる、やはりウクライナ民謡から採られたという第1 主題、そして弦楽器を主体に奏でられる甘美な第2 主題が次第に高揚し、圧倒的なフィナーレを築き上げます。
逢坂聖也(音楽ライター)
香港フィルハーモニー管弦楽団 指揮:リオ・クオクマン
2025年10月13日(月・祝)ライブ収録 会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
《交響曲第5番》はチャイコフスキーの6曲の番号付き交響曲中(※注)、最も力強い響きに満ちた作品として知られています。私生活上の数々の困難のあと、彼が円熟期にさし掛かった1888年の作品で、冒頭の「運命の動機」が全楽章に形を変えながら現れる循環形式を用いて圧倒的な音のドラマを創り上げています。5 年後に書かれる《交響曲第6 番「悲愴」》と並んで、シンフォニスト(交響曲作曲家)としてのチャイコフスキーの名を不朽のものとした傑作です。
この時期のチャイコフスキーを語る上で欠かせないのがナジェジダ・フォン・メック夫人の存在です。フォン・メック夫人は大富豪の未亡人で、チャイコフスキーは1876年に彼女から多額の資金援助の申し出を受けたのです。この支援は14年にわたって続き、彼の作曲活動に大きな安定をもたらしました。経済面だけではなく2 人は同じモスクワに住みながら1度も顔を合わせることはなく文通だけで交流を続け、この関係が終わるまでに1200 通を超える手紙が交わされたと伝えられます。1878年に初演された《交響曲第4 番》は、フォン・メック夫人に献呈されています。一方でこの前後からチャイコフスキーは、彼の人生における深刻な危機に見舞われます。1カ月足らずで破綻した結婚生活の余波、父イリヤの死、そして親友でもあったピアニスト、ニコライ・ルビンシテインの死など。創作に没頭することでこの危機を回避しようとするかのように、《ヴァイオリン協奏曲》、《歌劇「エフゲニー・オネーギン」》、《ピアノ三重奏協曲「偉大な芸術家の思い出に」》といった彼の中期を代表する作品が書き上げられていきました。
こうした中で完成したのが《交響曲第5番》です。《第4番》から実に10年を経ていましたが、ここでチャイコフスキーはヨーロッパの伝統的な音楽と自らのアイデンティティであるロシアの音楽をこれまで以上に高い完成度で融合しています。初演は1888 年11月17日にペテルブルグで、チャイコフスキー自身の指揮によって行われました。当初は芳しい反応を得られず失望したチャイコフスキーでしたが、演奏旅行に赴いた翌89 年3月のハンブルク公演の成功により自信を回復。その後、名指揮者アルトゥール・ニキシュがレパートリーに加えたことから作品は広く世界に知られていったのです。
〈第1 楽章〉はソナタ形式。序奏ではクラリネットでホ短調の「運命の動機」が暗くゆったりと演奏されます。主部に入ると「運命の動機」から派生した行進曲風の第1 主題と甘美な第2主題が物語の場面のように展開します。〈第2 楽章〉はホルンの息の長いソロから始まる抒情的な楽章。中間部ではテンポを上げ「運命の動機」が激しく打ち鳴らされます。やがて音楽は穏やかな表情を取り戻しますが、夢見るような響きの中に「運命の動機」が再び姿を現します。〈第3 楽章〉にはスケルツォに替わりワルツが置かれました。これはチャイコフスキーならではの創意の1つ。3 つのワルツが終楽章への前奏曲のように奏でられます。〈第4楽章〉の序奏は、ホ長調に転じた「運命の動機」で始まります。ティンパニの連打のあと主部に突入すると闘争的な激しい響きが繰り広げられ、その頂点で曲は全休止。そこから圧倒的なコーダが始まります。力強く前進するかのように「運命の動機」が悠然と響き渡り、輝かしく全曲を終結します。
逢坂聖也(音楽ライター)
(※注)交響曲第1番「冬の日の幻想」
交響曲第2番「小ロシア」
交響曲第3 番「ポーランド」
交響曲第4 番
交響曲第5 番
交響曲第6 番「悲愴」
他に 番号のない作品として、
《 マンフレッド交響曲》 がある。
阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとしてオープンした兵庫県立芸術文化センターの専属オーケストラとして2005 年9月に設立。楽団員の在籍期間は最長3 年。日本をはじめ、ヨーロッパ、アメリカなどでオーディションを行い、世界各地から将来有望な若手演奏家を集め、様々な公演を通じオーケストラ奏者としての経験を積み、優秀な人材を輩出するアカデミーの要素も持つ、世界でも類を見ない新しいシステムのオーケストラである。芸術監督は世界的に活躍する指揮者である佐渡裕が創設時より務め、地元に愛されるオーケストラとして地域に密着した活動を行っている。定期演奏会の他、名曲、ファミリー、ポップス等のコンサートや室内楽シリーズ、県内中学1年生を対象とした「わくわくオーケストラ教室」、毎年夏の芸術監督プロデュース・オペラでの演奏など、多彩な活動を展開している。2006年関西元気文化圏賞ニューパワー賞、2011年神戸新聞平和賞、2017 年ミュージック・ペンクラブ賞受賞。通称PAC(パック)オーケストラ。
公式サイト
第17回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門にて日本人初の優勝。クーセヴィツキー国際指揮者コンクール最高位及びオーケストラ特別賞。2021 年にはベルリン放送交響楽団の公演にてヴラディーミル・ユロフスキ氏のアシスタントを務める。
ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、アルメニア国立交響楽団等の指揮を経て、2022 年 7 月、東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会にて日本デビューを飾る。
その後京都市響、読売日本響、仙台フィル、日本センチュリー響、群馬響、神戸室内管、新日本フィル、東京都響、兵庫芸術文化センター管、大阪フィル、東京響、神奈川フィル、大阪響と立て続けに共演し、今後も日本各地のオーケストラへのデビューが決定している。2024 年9月からの1 年間、リエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタントコンダクターに選任。
大阪府豊中市生まれ。 関西学院大学法学部卒業後、東京音楽大学作曲指揮専攻
(指揮)卒業。2023 年3月ハンスアイスラー音楽大学ベルリンオーケストラ指揮科修士課程修了。指揮を広上淳一、田代俊文、三河正典、下野竜也、クリスティアン・エーヴァルト、オペラ指揮をハンス・ディーター・バウムの各氏に師事。またネーメ、パーヴォ、クリスティアン・ヤルヴィ、ドナルド・ラニクルズ、ヨハネス・シュレーフリ、井上道義、沼尻竜典各氏らのマスタークラスにオーディションを経て招待され、薫陶を受ける。
公式サイト
©hiro.pberg_berlin
圧倒的存在感をもつ日本を代表するピアニスト。チャイコフスキーコンクール、ショパン国際ピアノコンクール入賞以来、常に第一線で活躍し続けている。協奏曲のレパートリーは60曲を超え、国内外の主要オーケストラや指揮者からの信頼も厚く、数多くの演奏会にソリストとして指名されている。『12 年間・24 回リサイタルシリーズ』や『ベートーヴェン、そして...』が、その演奏と企画性で高く評価された。22年からはサントリーホール・シリーズ、第ⅠシーズンConcerto〈以心伝心〉を25年まで開催している。ショパン、チャイコフスキー、ロン=ティボー、ミュンヘンなど国際音楽コンクールの審査員も務める。また、東日本大震災以降は、被災地の学校や公共施設などで演奏を行い、仙台では被災地活動の一環として自ら企画立案し、ゼネラル・プロデューサーを務める『こどもの夢ひろば“ボレロ”』を開催。
CDは、ソニー・ミュージックレーベルズと専属契約を結び、33枚をリリース。最新アルバム『モノローグ』まで7 作連続して「レコ―ド芸術」特選盤に選ばれている。著書として『点と魂と』、また平野昭氏との共著『ベートーヴェンとピアノ』を出版している。
05年度 文化庁芸術祭大賞、13年度 東燃ゼネラル音楽賞本賞およびレコード・アカデミー賞、16年度 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。17年度紫綬褒章を受章。
©ND CHOW
楽団の歴史は1947 年に創設された中英管弦楽団に遡り、今ではアジアを代表するオーケストラのひとつとして高く評価されている。
1シーズン150回以上のコンサートを開催し、毎年20万人を超える音楽ファンたちを魅了している。現在はロン・ユーが首席客演指揮者、リオ・クオクマンが常任指揮者、ダニエレ・ガッティがアーティスティック・パートナーを務めている。また、タルモ・ペルトコスキが2025/26 年シーズンに(次期)音楽監督に、2026/27 年シーズンに音楽監督に就任予定。
2019年、イギリスの権威あるクラシック音楽誌「グラモフォン」からアジアのオーケストラとしては初めて「オーケストラ・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞。2015 年から18 年にかけて行ったワーグナー『ニーベルングの指環』4 部作の演奏、録音プロジェクトが好評を博し、同賞の受賞に繋がった。
創立 50 周年にあたる2023/24 年シーズンには10か国 22 都市で公演を行った。香港および中国の作曲家に積極的に作品を委嘱しており、タン・ドゥンやブライト・シェンが自作を指揮した録音がナクソスからリリースされている。
©Keith Hiro_HK Phil
香港フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、マカオ管弦楽団音楽監督兼首席指揮者、マカオ国際音楽祭プログラム・ディレクター、スロヴェニア放送交響楽団首席指揮者、関西フィルハーモニー管弦楽団アーティスティック・パートナー。フィラデルフィア・インクワイアラー紙から「驚くべき指揮の才能」と賞賛され、パリで開催された第3回エフゲニー・スヴェトラーノフ国際指揮者コンクールでは第2位および聴衆賞とオーケストラ賞を受賞。フィラデルフィア管弦楽団で中国人としては初めて副指揮者となった。
ウィーン交響楽団の定期演奏会、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の初のサウジアラビア・ツアーにも登場した。オペラ公演にも積極的で、台中国家歌劇院の「セビリアの理髪師」、ムジカ・ヴィヴァ(香港)の「ラ・ボエーム」、「愛の妙薬」、「トゥーランドット」、「蝶々夫人」、「カルメン」を指揮。ワレリー・ゲルギエフの招きで、マリインスキー劇場に客演指揮者として登場。コンサート・ピアニストとしては、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、フォートワース交響楽団と共演している。
香港演芸学院、ジュリアード音楽院、カーティス音楽院、ニューイングランド音楽院で学び、芸術文化の発展への貢献が評価され、香港、マカオ両政府から文化功績勲章が授与された。2021年香港十大傑出青年賞、2022 年第16回香港芸術発展賞の年間最優秀芸術家賞(音楽部門)を受賞。
©Keith Hiro_HK Phil
2021 年、第18 回ショパン国際ピアノ・コンクールにて日本人では半世紀ぶり最高位となる第2位を受賞し、世界の注目を集めた。2016年のデビュー以降、幅広い聴衆を魅了し続けており、国内外のオーケストラとの共演回数はすでに300回以上に及ぶ。
2021 年には自身のオーケストラであるJapan National Orchestra(JNO)を株 式会社化し、ファンと音楽家を繋ぐ音楽サロン「Solistiade」を立ち上げた。現在はウィーンを拠点に、ヨーロッパ、カナダ、アジアなど世界中で活躍。2024年、米フォーブス誌の「Forbes 30 Under 30 Asia -Class of 2024」に選出された。
2025年には、ザルツブルグ音楽祭史上初の弾き振りの出演で、モーツァルテウム管との再共演の他、ソリストとしてミュンヘン・フィル、トーンキュンストラー管定期公演への再出演、国内ではベルリン・フィルメンバーで結成されたシャロウン・アンサンブル・ベルリンとの室内楽ツアーなどを予定している。
©Yuji Ueno